Page2-2.出演者紹介    吉澤慎吾 - Shingo Yoshizawa -

世界会議が出来るまで、page2では出演者の紹介をいたします。
 2人目は吉澤慎吾さん。世界会議ではヒトラーの役をつとめます。 













インタビュー

 

━━━ 演劇をはじめたきっかけはなんですか
 始めの入口はわりと単純で、ゲームや漫画が好きだったので声優になってみたいなと思い高校の演劇部に入部しました。だけど演劇をやっていく内にちゃんと舞台表現について学びたいと思い始め、立教大学映像身体学科という心理学部の中にある面白い学科に入りました。
 大学在学と並行して文学座という新劇の劇団に研修生として3年間在籍していたのですが、現在のようなスタンスの舞台活動をするようになった影響は大学での恩師たちとの出会いが大きかったように思います。
  ダンスをちゃんと始めたのは大学を卒業した23歳以降なのですが、大学3年時に偶然ダンスというものに出会えたのもその後を大きく影響付けられています。最初は俳優としての身体トレーニングという意識で始めたのですが、いつの間にかのめり込んでしまいました(笑)
 
 
━━━ 小池作品の魅力について教えてください
 小池さんの作品の魅力はなんといっても舞台上に起こされる化学変化ですね。
 毎回思うのですが、出演者やスタッフで参加されている方々が他の舞台だったらこんなバックボーンがバラバラな人たち絶対一緒にやらないだろ!っていう人たちが毎回集まっているんです。でも小池さんはその国境もジャンルもバラバラな物を、刺激的なひとつの空間に形成していってしまう。ここが出演する側としても観る側としても一番の見どころであり、魅力ではないかなと。すごくワクワクします。一種『小池マジック』と言ってもいいと思います(笑)
 これは小池さんの生来のセンスとパパ・タラフマラ30年間のキャリアに裏打ちされたものなんだなと。舞台芸術に限らない話ですが、今後世界で必要になる「共生」というものの希望はここにあるのでは、と感じています。
 
 
━━━ 演じる役の偉人についてどう思いますか
 僕は今回の作品でアドルフ・ヒトラーの役をさせて頂くのですが、
 人々をあれほどまで熱狂的に率いることができたというカリスマ性は凄まじいなと思います。もちろん時代や環境が後押ししたというのもありますが。
 一昨年ポーランドにあるアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を訪れる機会があったのですが、集められ虐殺されたユダヤ人の髪の毛や靴や櫛などの遺品が大量に展示されていて…。本当に声を出すことができないくらいの気持ちになりました。あれほどまでに自分の思想を突き進めていく求心力。時代や環境が違ったら誰でもあのような方向に向かっていってしまったのか…?という可能性のことを考えます。
 日常生活で僕は声が小さすぎてよく何度も聞き返されたり、「ミュート声」だなんて言われるくらいなんです。もしかしたらどこかに共通点はあるのかもしれませんが割りと、というか人間としてはかなり間逆なタイプだと思います。
 
 
 
━━━ 昔の偉人と一人会えるなら誰とあってどんなことを話したいですか?
 栗林忠道中将ですね。 
 16歳のころにちょうど映画館でクリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』が上映されていて観たんです。劇中では渡辺謙さんが演じられていた硫黄島の戦いを指揮官として率い戦った軍人です。
  その中の栗林中将の台詞に『我々の子供が日本で一日でも長く安泰に暮らせるならば、 我々がこの島を守る一日には意味があるんです! 』という言葉があって、それが凄く胸に残っていて。この人たちが命を賭して戦い守ろうとした日本。今の日本には果たしてそこまでの価値があるのかな。あの人たちが今の日本を見たらどう思うのかなって。
 今時代は確実に悪い方向に向かっています。そんな逆らい難い大きな流れに警鐘を鳴らしたいという個人的な思いも、この作品に込められたらとも思います。
 
 





吉澤さん演じるヒトラーって?

私は戦争を望む。私にとって手段はすべて正解となる。

 
反ユダヤ主義の首相
ドイツ(ナチス・ドイツ時代)の政治家。 異母兄弟と実の兄弟を含めて8人いて6番目。母とは相性が良かったが、父とは仲が悪かった。父からは度々虐待を受けており、その影響から成人後も奇妙な寝言を発したり夜中にうなされることがあったという。
ドイツの首相として第二次世界大戦を勃発させ、反ユダヤ主義に基づきユダヤ人強制収容所でユダヤ人510万~580万人を虐殺した。
 
 
自称芸術家
 音楽ではリヒャルト・ワーグナーを特に好み、芸術家を自負した。主に風景画を描き、建物の描写を得意としたが、人物絵がほとんど描けなかったようだ。
 

 
 
 


■吉澤慎吾
1990年5月25日生まれ、26歳。
マレビトの会プロジェクトメンバー。Integrated Dance Company 響-Kyoカンパニーメンバー
立教大学入学後、演劇や身体表現について本格的に学び始め在学中に教授を務めていた世界的ダンサー勅使川原三郎、劇作家でマレビトの会を主宰する松田正隆に出会い、その後の方向性に多大な影響を受ける。卒業後はダンサー及び俳優として活動し、勅使川原三郎・小池博史・近藤良平・Alessio Silvestrin・篠崎由紀子&Heine Avdal・長谷川寧・大橋可也・四戸賢治など気鋭振付家の国内外作品に出演。海外でもこれまでに5カ国6都市においてのパフォーマンスに参加。演劇・ダンスなど既存ジャンルにとらわれない自身の表現を模索している。