Page2.出演者紹介    松島誠 - Makoto Matsushima -

世界会議が出来るまで、page2では出演者の紹介をいたします。
 6人目は松島誠さん。世界会議ではガンジーの役をつとめます。 













インタビュー

 

━━━ ダンスをはじめたきっかけはなんですか
大学、19の頃ときにデザインクラスの同級生にタラフマラ劇場( 後パパ・タラフマラ)の舞台美術/ペンキ塗り/ 小道具の手伝いに誘われていつの間にやら国立の作業場で住み込み 作業。そのうちチェーンスモーカー(当時)の演出家K氏が、「 まことくん人が足りないからちょっとそこに立っててくれない?」 、と舞台に上げられたのが始まり。そのままその公演「 1984日向で眠れ」に楽隊の一員として出演。 その後舞台美術も手伝うことに。。。
 
━━━ 小池作品の魅力について教えてください
音楽的・ボーダーレス。空間と音(=時間感覚)へのこだわり。 いわゆる演劇というよりは、総合芸術としての舞台空間使い。
それがどこにもない場=タラフマラ(アルトーの描いた理想郷) を作り続けている。
 
━━━ 世界会議の見どころについて教えてください
今回はまずライブ音楽。ここであってどこでもない異界~ 現代の風景の空気を作っています。 そしてパフォーマー異なるタイプ、違う身体の出会い。 異ジャンルのパフォーマーを使うこと自体は、 もう新しくないと思うかもしれませんが、 小池氏は異文化を横に並べただけではなく、一歩踏み込んで、 融合のクオリティを目指しています。 それは日本の舞台ではあまり観た事がないものです。 俳優の立本夏山さんがコンテを踊り、 ご存知あの白井さち子さんが台詞を、 能楽師の清水さんが三輪車に乗ったりコンテンポラリーなユニゾン に加わるなど、 ひたすら面白いものにするための演出的な深い融合を目指している 稽古を重ねています。 観ていただければ未体験の感覚世界での会議が、 あなたの新しい感覚を広げると思います。
 
━━━ 演じる役の偉人についてどう思いますか
マハトマ・ガンジー。偉人だよね。 名言も多くてひとつひとつ心に響くよ。 インドとパキスタンの果たせなかった宗教融和や、 未来についての予言するような言葉も興味深い。 煩悩満載の自分とまったく反対、異なる性格。しかし、 それにはめていく作業が楽しかったりして。 いろいろ調べると若いころは結構やんちゃだったり、 13歳での結婚生活でいろいろ悩んだり、 人間だからいろんな面はあります。 今回はガンジーを真似ていくというよりは自分の中のガンジーを探 していくような作業です。舞台上では、 他の面々とのバランスで身体の在り方とか、声色、 見え方を考えてやってると、、、う~ん。 あんまりガンジーっぽくないかもなあ。 まあ観客の方々にそんな事忘れてみてもらえるぐらいまでいけたら 、とは思っています。
 
━━━ 役作りをするうえで苦労したことや取り組んでいることがあれば教えてください
役作りか、ヨガ(笑)。まあ体調管理だね。 休憩も少なめな毎日7~ 8時間の稽古でフィジカルとメンタル面でへとへと、 ウォーミングアップ、 基礎体力をつけるために往復40kmまでなら自転車で行き帰り。 あとは食生活と睡眠かな。
役作りという意味では日常生活でもしガンジーなら今をどうみるか なと考えたりして。
 
━━━ 昔の偉人と一人会えるなら誰とあってどんなことを話したいですか?
 偉人ねえ、、、、思いつかないな。 偉人たちは本当に偉人だったのか、ナゾな部分も随分あるし。
あ、じゃあ、ガンジーに会って、 あなたの役演じてるんですけど何かありますか?と、 コメント聞きたい。
あとは、偉人じゃないけどの1900年生まれ、 2000年に99歳と11ヶ月で亡くなった祖母に会って、 20世紀はどうっだたか21世紀をどう思うか聞いてみたいなぁ。
 





松島さん演じるガンジーって?

握りこぶしと握手はできない。

 
 
インド独立の父
インドのグジャラート出身の弁護士であり、宗教家、政治指導者。南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後は、「非暴力、不服従」を提唱し、インドのイギリスからの独立運動を指揮した。その功績からインド独立の父と呼ばれている。
ガンジーの誕生日にちなみ、インドで毎年10月2日は「ガンジー記念日」という国民の休日となっている。
 
子供時代は意外とやんちゃ
50歳の頃から禁欲、断食、清貧、純潔を実践し精神面の強化に取り組んでいたガンジーだが、小学校時代は素行も悪く、悪友にそそのかされて、ヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食を繰り返していただけでなく、タバコにも手を出し、タバコ代を工面する為に召し使いの金を盗み取ったこともあった。
 
 
 

 


■松島誠
1983年から2006年までの23年間パパ・タラフマラに在籍。パパ・タラフマラのほぼ全ての作品にメイン・パフォーマー、美術家として参加。2006年9月退団。1995年よりソロ活動を開始。「ココロミノココロ」が信条のマルチアーティスト。作品は演劇、ダンスの枠にとらわれず、その興味の赴くまま、美術、オブジェ、VOICE、身体表現、演出、ミュージカル、CMの振付けと、フィールドを拡大。1年の半分を海外で過ごす旅芸人。最近は特に濃密な1対1のコラボレーションに力を注いでいる。