あきゅらいず美養品 代表
南沢 典子


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演出家・小池博史ブリッジプロジェクト 代表
小池 博史
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2013年2月22日-24日に実施の「注文の多い料理店」東京初演@あきゅらいず美養品“森の楽校”を記念し、特別対談をおこないました。 あきゅらいず美養品代表・南沢典子と、元パパ・タラフマラ主宰で演出家の小池博史によるちょっと不思議なお話。4回に分けてのレポートです!どうぞお楽しみください。

「なぜ『注文の多い料理店』を選んだんですか?」

南沢

それで、今回「注文の多い料理店」宮沢賢治の作品。今までは、無の状態から自分のイマジネーションでつくった舞台がメインだったと思いますけど、パパタラフマラのときは。今回、宮沢賢治が書いた物語をベースにしたのは、何か変化があったのですか?

小池

やはり3・11ですよね。3・11があって、人間はどうしてこれから生きて行くのかということを考えてたときに、もっと真摯に、いろんな根源性と向かい合わなきゃいけないだろうと。自然と人間、動物と人間、死者と生者……、いろんな関係性に対して向かい合っていくことを、できるだけ自分なりに、真摯に見つめてみようと思った。

そのとき、いやおうなく宮沢賢治が出て来ました。彼が書いた文章の全てそれだと言っても良いくらいですからね。ちょうど2年前、岩手の北上で公演があったときに、あのピーンと張りつめた、澄んだ空気感の中で、あー、こういうところで宮沢賢治は生まれたんだなって

「注文の多い料理店」より

感じました。この世界から、あのような清廉な童話が出て来たんだと。そのとき、「注文の多い料理店」をやりたいと漠然と思った。その三ヶ月後に3・11があったんで、すぐに具体化したくなったのです。今、宮沢賢治的思想はすごく重要なんです。ならば具体化を少しでも早くしていかねば、と。



南沢

宮沢賢治って、自然資本に対してものすごく力入れをした人だから、これからの生きる社会を考えると、経済資本だけじゃあ立ち往かなくなって来るところで、自然に対して、人間が自然とどう生きるかというのは、ものすごく重要な要素かなと思います、わたしも。たくさんある宮沢賢治作品の中で、なぜ「注文の多い料理店」を選んだんですか?

動物と人間の関係を通して見ると、人は何かを知ることができますよね。結局、犬を連れて行ったけれど、犬が途中でいなくなってしまい、どれだけ経済的な損をしたかという話を都会のハンターたちはするわけですよ。動物たちの命ですら経済の話になってしまうんです。そういう中、料理店に入って行くと、いつのまにか自分が食われる立場になってしまった。これって、見方を変えていけば、どんな世界でも同じなんですね。人って、本来弱者ですから食われるべき存在でした。食される存在としての人間だったのが、別の力を持ち、食われる側から食う側に変わっていく中で、どれだけ人から敬虔さが失われ、傲慢になっていったか。そういう敬虔さを取り戻さないともはや生きられないんじゃないか。

原発の問題見ればよくわかりますよね。いまだに、再稼働って話にすぐなります。しかし、そもそも、自分たちがコントロール不可能なことを経済と引き替えに行うのは、どれだけ妙なことか、その感覚がなくなってしまっている。そういう感覚をきちんと取り返して行くことこそ、人間も動物もお互いに共存し合いながら生きて行く上での基本でしょう。福島の立ち入り禁止区域に放置された動物たちは哀れを通り越し、人間の傲慢さばかりが浮き彫りになりました。逆の立場であれば……。そう考えれば、「注文の多い料理店」ってすごくわかりやすいんですね。

南沢

ああ、なるほど、すごい、いま、ぐっと来ましたね。すごく、いいです。そういう理解なんですね。

3.11以降、これから百年。

小池

3・11以降、宮沢賢治を素材とした舞台がいっぱい上演されていたらしいんですが、賢治的なものの本質を、アーティストを始めとして多くの人々が感じたんだろうと思います。そこで僕が重要だと思っているのは、賢治が持っている宇宙観なんです。宇宙って、スペースですね。僕は、物事の根幹にあるのはスペースだと思っていて、それは空間であり隙間なんです。舞台をつくる上でもそうで、最初に重要視するのは空間、空間がないと始まらない。空間とのコミュニケーション。

もともと建築やりたかったのもガウディが好きで。ガウディもそうなんですけど、なんだかよくわかんないわけですよ、ぜんぜん合理的には見えないし。でも、非合理性とコミュニケートする何か不可思議な部分が、じつは、人間が生きて行く上で、すごく大切なんじゃないか。その部分をみんなどこかに置き忘れて、あるいは置いて行ってしまう、それで、目先の合理性に囚われて行ってしまう。

(こう言った二週間後に小池さんは、バルセロナで実際のガウディ建築を目にし、まったく非合理的でないことに驚いたそうです。でもガウディ建築は近代の合理性とはかなり異質、とも思ったとか。)

南沢

たしかにね、ありますね。つい先日京都にいったんですね。すごく思ったのが、残されている、あるいは残して行く、そして、それを中心に、街全体も景観を保つっていう、このクオリティって何だろうっていうこと。何百年も何千年も、残したいとみんなが思えるものをつくり上げた。そういうものが、いま、この物質的に豊かになっている現代にあるのかどうかって、感じましたね。どうなんでしょうね、これから百年……。

小池

人間って、何も全員が同じ方向に行くわけではないんで、当然そうじゃない方向に行きたいと思う人もいますが、そうじゃない方向に行こうとすればするほど、少数派になってしまいますからね。商業的な成功がないと少数派ではいられなくなる。

南沢

でも、どっちもいないと経済が回らないっていうのもありますよね。

小池

本来はそうでなければならない。でもそれが、今は本来的な状態になっていません。一方向にばっかり流れて行く。それが、日本が今後生き延びられるかどうか、最も危惧される点じゃないですか?両輪がないですよね、たぶん、片輪だけが回っている。



南沢

もうちょっとなんか、日本の国土、島が、ぐぐぐって移動したらいいのかなって、ちょっと思っちゃったりなんかするんですけども。

小池

え?それどういうことですか(笑)?

南沢

この日本の位置を、もうちょっとずらしちゃったら、なんか、ちょっと違ってくるのかなと思ちゃったんですけどね(笑)。

小池

そりゃあ、違うでしょうけど……(笑)面白いですね。

日本の場合、かなり大きな問題は、国際性がないっていうこと。どうしても、内側での比較しかない。内側だけでやってきましたから。そうすると内側の論理に強い人が勝つわけですよね。内側の論理って権力ですからね。内側に権力があればあるほどやりやすくなり、居心地が良くなる。でもそれでは間違いなく破綻します。あるいは才能ある人はみんな日本から出て行ってしまう。