地域創作プログラム [KENJI]とは
 

4館共同制作の一環として、各地域の市民とともに舞台作品を創作するプログラムを実施する。メソッド中心の一般的なワークショップではなく、各地の地域特性を鑑み、参加市民一人一人の個性と表現力、創造性を引き出すための装置としてのプロセスを最重視したプログラムを実施した。
 
 
 
 
 
 

 


小池博史からメッセージ 


~生きるということ~


 宮沢賢治の作品創作を思い立ったのはずいぶん昔だが、創作に踏み切ろうと決意したのは2010年12月に岩手県北上市で公演を行ったときで、2011年1月時点では具体的に「注文の多い料理店」創作に向けてのメンバーを決定し、動き出していました。
 岩手の土地が創作を決意させ、強く私を後押ししました。あの、清澄な空気はしんしんと私の身体に染み入り、ああこの土地、この空気感が賢治を生み、作品世界に昇華したのだなあと思い、それは自然と人間がともに生きる意味を問いかけているようにすら感じたのです。
 そのすぐ後に起きたのがあの大災害です。自然の脅威は、人間が作り出した傲慢さをひとのみに飲み込んで、放射能汚染を起こし、その土地に帰れない人々をたくさん生み出してしまいました。そしてきわめて多くの人々に不安を与えています。私たちが生み出した、至極便利だと思い込んだ文明は私たち自身を根底から傷つけ、私たちが住む場所を何百年にも渡って帰還困難な地域にしてしまったのです。
 まるで「注文の多い料理店」のようではありませんか。遊びで動物を狩るために都会の男たちが嬉々として森に足を踏み入れ、嵐に遭うなか見つけた料理店に意気揚々入っていく、と、おいしい料理を食するための準備らしきオーダーが次々と出される。やれ靴を脱げ、鉄砲を置け、埃を払え……と。ここは素晴らしい高級レストランだから仕方がないのだなと納得させつつ進んでいくと、逆にそれら行為は人間自身が食われるための準備だった……と知る。
 賢治は動物と人間の関係ばかりか、自然、向こうの世界、あの世、宇宙の果て……人間がなかなか想像できない世界を強く対称性を意識しながら描きました。
 現代では少し特殊に感じられるだろうこの考えですが、長い人類史に於いてはきわめて普遍的な思考です。私たちの祖先は皆、そうだった。それがさまざまな神話となって結実して世界中に残り、神話世界では人間だけが特別な世界に生きているのではない、対称の世界を描いています。
 今、「賢治を考える」とは、ヒトとして生きる意味を考えるに等しいと思います。昔々は当たり前のように実践していた事柄が今では特殊なこととなって隅に追いやられ、この世界にいると、まともな神経ではいられないような状態ばかりを目にし、耳にする羽目に陥る。こんな時代に生きる私たちは賢治を見直す必要があります。
 今回の[ KENJI ]の意味はそこにあります。「生きるということ」を、賢治を通し、自分自身の身体を通して、考えてみようではありませんか。



小池 博史


4館合同シンポジウム(長野市・長野市芸術館にて開催)

 

地域創作のゆくえ~まちのDNA、創造するCommunity

 
まちの歴史と共同体をつなぐ『創造』に寄与するために、地域の劇場・ホールが「まち」のなかで果たす役割とは何なのか?また、そうしたローカルな一つ一つの試みをつなぐこと(連携)にはどのような価値や可能性があるのか?演出家・小池博史さんをゲストに迎え、本プログラムに参画する4館それぞれの試みと、それを架橋するアーティストの役割について考えていきたいと思います。
 
《実施概要》
日時:2016年5月11日(水)19:45頃より(約1時間30分)*『KENJ』in NAGANO』の終演後
コーディネーター:石川利江(ISHIKAWA地域文化企画室 代表)
ゲスト:小池博史(演出家・振付家/小池博史ブリッジプロジェクト代表)
参加館:仙台市市民文化事業団/パルテノン多摩/茅野市民館/長野市芸術館
会場:長野市芸術館アクトスペース