小池博史インタビュー(前編)

2012年5月、国際的に高い評価を受けてきたパフォーミング・アーツ・カンパニー「パパ・タラフマラ」の30年間の活動に終止符を打ち、同年6月に「小池博史ブリッジプロジェクト」を発足した演出家・作家・振付家・小池博史。ダンス・演劇・音楽・美術等、ジャンルを越えた独自の創作スタイルと世界各国のアーティストとの作品制作を行い、常に創作の新たな境地を開拓し続けてきた。「小池博史ブリッジブロジェクト」発足後は、宮沢賢治作品の舞台化、古代インドの壮大な叙事詩・マハーバーラタの全編舞台化、「世界」作品に取り組む一方、国内外において一般市民やプロフェッショナルを対象としたワークショップ作品も数多く手がけており、2017年12月25日には著書「新・舞台芸術論~21世紀風姿花伝」が出版予定。2018年2月3日-12日には「2030世界漂流」の初演を控える中、前編/後編にわたりインタビューを行った。



ーー何故今「世界」作品に取り組まれようとしたのですか?

小池 「宮沢賢治」においては、<人間ではない視点>から人間世界を照射するという意図で始めました。もう一方、「マハーバーラタ」は2000年も前の物語ですが、その神々でさえ、地上に降りてきて後、相争い、結局滅亡に至ってしまっている、というなんとも絶望的な状態を描こうとしました。つまり神々でさえそう、いわんや人間をや、と。今、私たち自身も滅亡に向かって一直線に進んでいるように見えなくもない。さて、そこで翻ってじゃあ現実はどうか。実際今の世界はどうなのかっていうことを、事実に即してものを見ていく必要があるのではないかと感じたのです。今、僕たちが生きている世界に焦点を当てる、あるいは未来に焦点を当てる。ということをやろうとしているんですね。



ーー「宮沢賢治」「マハーバーラタ」シリーズが神話的なものであったのに対して、実際に今起こっていることを題材にしていると。

小池 今起きていることや、未来に起こるであろうことは、予言してきたわけではないのだけれど、振り返ってみると、どうもなんか作ってきた作品のなかで示してきた感触があります。今まではわざわざ「未来だ」ってやらずに自然に形作られて来ましたが、こんな危機的時代だから明確に未来だと謳ったほうがいいかなと思ったんです。



小池『台本だけ書いて実現していない映画があって。「ささやき」っていうタイトルの』


ーー来年2月に初演を迎える「2030世界漂流」は、近未来の2030年、もともと住んでいた地域を追われた人々が流れ着き澱んでいる場所を舞台に、一見明るく見えるその場所で誰もが腹に一物抱えながら、さまざまな疑惑、あきらめ、怒り、追求と逃亡の中、漂流する世界の民が描き出す未来をみつめる作品となっています。 「世界を追われ、彷徨う人々」をテーマに据えた理由は?

小池 台本だけ書いて実現しそうだったんだけど、予算がかかりすぎるというので実現していない映画があって。それが、『ささやき』っていうタイトルの2070年を舞台にした作品なんです。どういう物語かというと、砂漠に一部だけが突然隆起して森が出来上がり、その森がすさまじい勢いで育っていく。森に棲み着いている人間もいる。何故そんなことが起きているのか、何が森を育てているのかを探ろうとする一種の迷宮譚なんだけど。その森とは距離のある砂漠の中に街が広がり、酒場があって、どこか陰のある人々が集っている……。どうもそんなイメージが強いんだよね、俺は。あんまり明るい未来、高速道路が都市部に縦横に張り巡らされ、空中を飛び回る飛行物体がいっぱいあってという、あんな風な華々しい未来っていうのも、どこかにはあるかもしれないけどね。そうではなく、かなりの部分っていうのが廃れてくるんじゃないかな。つまり淀んでくる部分がすごく多くなってくる。2030年あたりはその入り口にあるのではないかって気がしてる。そういうイメージです。


ーー映画の台本で描いていたイメージが世界漂流の設定へと繋がっていたんですね。

小池『私たちはじゃあどう生きてくのか、それを一人一人が問うてかないと、ダメな時代になってきた』


ーー「世界」作品が未来を見据えている、そして今を見据えている作品でもあるというところから、今に照らし合わせると、何故このテーマを選ばれたのですか?

小池 それはもうはっきりしていて、どんなものでもそうだけれども。つまり、じゃあ今どうするかが問われてると思うんだよね。私たちはじゃあどう生きてくのか、それを一人一人が問うてかないとダメな時代になってきた。


ーー「世界を追われ、彷徨う人々」という言葉からは、難民問題、3.11後の福島、亡命者、近いうちに起きるであろう北朝鮮問題など様々な問題が想起される設定になっていますね。

小池 まあそれだけじゃないよね。やっぱり今の政府ってどういう政府か。アメリカだってそうじゃない。移民排斥運動があったりね。どこに行ったって居場所がなくなり、保守保護主義になっている。しかしそれでは生きられなくなるのも事実。

小池『人は生きるんだって決めた時には、希望をみるんだよ』


ーーテーマとして描かれているものが、あまり希望的な未来ではないというか、むしろ滅亡にむかっていくところになっていると思うんですが、チラシには「希望はどこにあるか、それを見つめたい」と書かれています。世界を見つめる視点が、希望につながるということについて聞かせて下さい。

小池 人は生きるんだって決めた時には、希望をみるんだよ。どんな場合でもそういうもんなんです。何らか、藁(わら)にもすがるんです。藁があったら藁の可能性を見つけるんです。 人が考えるってことが希望なんだよ。


ーー人が考えること自体に希望があるんですか?

小池 それはもうだって、今考えなくなってるでしょ、人は。考えるのすら面倒くさくなっちゃってるから、こんな結果になってるわけです。


ーーひとりひとりが考えることに希望があると。

小池 考えるっていうより、ひとりひとりが少なくとも「今起きていることは何か」「私たちはどう生きればいいのか」……そんなことを真摯に考えなかったら、これからは生きられなくなる時代だよ。自分たちの子どもは戦争に行っていいのかどうか、あるいは人殺しになっていいのかどうか、ということもそうだし、必死で考えるべきなんだよ。憲法9条だって今や知らない人も少なくない、9条って何ですかって言う人さえいる。9条を変えたほうがいいのか変えない方がいいのかも含めて。考えるべきなんです。変えるっていうのもあるし、変えないっていうのもある。変えるなら何故か、そこを自主的に皆が考えて次の時代を作り出す必要がある。


小池『人間ってどっか滑稽な存在でね。とっても滑稽な存在で。』


ーー小池さんの作品は、どんなに暗く重いテーマであっても、人間のあらゆる面が見えてきても、同時に人間の美しさやユーモアがあり、最後の最後には人間の生命力のようなものであったり、暗闇の中のかすかな明かりのようなものに繋がっていくのを感じます。それは、パパ・タラフマラの時代から続いていて、クリエイティブ・ディレクター/プロデューサーの榎本了壱氏からは「小池さんは「祭」の人」と評されています。そこには、小池さん自身の人間観や、世界観が表れていると感じます。

小池 最終的には希望をどう見出していくかが要じゃないかな。もちろん「どん底」もありだとは思ってるんだけどね。なぜなら「どん底」からしか見えないこともたくさんあるから。でもね、人間ってどっか滑稽な存在でね。とっても滑稽な存在で。どんな悲しい状況でもどこか抜けている部分やおかしみのある部分がある。残酷さもある。でもそういう滑稽味だとかっていうのは、あんまり、人は見せないようにして生きて行くじゃん。みんな隠して素敵な自分を演じながら生きるわけです。その一方、死体も隠すんです。嫌なものは隠す。汚いものは隠す。要は汚かったり、恥ずかしかったり、みっともないところは隠すんですね。昔は死体なんかそこら中にあったんだから。今は汚いものを観ないようにしちゃってる。そういう異なるモノを抱え込んだ社会じゃないとあまり健全ではない。でそういう社会を抱え込んでるってことが、それこそ人を、普通の人間を育てていく。そういうのを観ない社会ってのは歪な社会だよね。

小池『自然なるものを身近に置いて、身近に感じて、ダイレクトな感触で交感できれば、大きな希望にはなる』

ーー普通の人間とは?

小池 自然の中にいる身体。森ん中でさあ、腐葉土を顔にこすりつけて、腐葉土のなかでのたうちまわるとさ、気持よかったりもするじゃない。あの気持ちよさを、僕らは普段忘れてんだよ、きれいさっぱりね。忘れてんだけども、実はあの方がたぶん人間ってのは楽なんだな。非常に長い歴史をそういう風に生きてきたんだよね。でも、それを忘れてしまった。そんな存在であったということを忘れたから、今いろんな問題を引き起こしてるとしか思えない。それが身体不在ってことに繋がっていくんだけど。自然なるものを身近に置いて、身近に感じて、ダイレクトな感触で交感できれば、大きな希望にはなる。「感じ取る存在」としてですね。


ーーありがとうございました。

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【2030世界漂流公演情報】
◆公演日程:2018年2月3日(土)~2月12日(月・祝) 全12公演
◆会場:吉祥寺シアター
◆チケット(全席指定席):
一般発売開始:2017年12月2日(土)10:00~公式HPのチケットフォームにて開始