不可逆の航海 | OCC
不可逆の航海
方法としての漂流
私は、はじまりから「ない」ことを前提に創作してきた。
既に与えられた価値や制度を、無条件に引き受けないという態度である。
それは否定のための否定ではない。
思考と感覚の操作条件を確保するための初期条件にすぎない。
創作とは、付け加えることでも削除することでもない。
保持し、外し、組み替え、接続し直すことの連続である。
私は既存の要素を素材として用いるが、
それらを原型のまま保存することは方法として選ばない。
私が行ってきたのは、収集と配置、転用と再接続である。
異なる時間、文化、身体の痕跡を、
体系に回収せず、
干渉と緊張を保ったまま併存させる。
それは、ブリコラージュ的な操作であり、
リゾーム状に展開する。
ブリコラージュとは即興ではない。
既存の断片を再利用可能な素材として扱う、
厳密な方法である。
私は、方法を固定しない。
漂流とは感情的な放浪ではなく、
判断を保留するという操作である。
師系、流派、ジャンルは参照するが、帰属しない。
私が扱ってきたのは、
空間、時間、身体、音、沈黙、配置、密度である。
それらが同一の場で同時に作用する状態を、
その都度、設計する。
私は、物語を前提にしない。
同時に、物語を排除もしない。
物語は素材であり、構造を支配する原理ではない。
先に立ち上げるのは、
身体の配置、空間の関係、時間の運動である。
私は、特定の様式や技法に特化した身体を前提にしない。
踊り、動き、言葉、声といった要素を分断せず、
身体をパーツ化しないことを、方法として選んできた。
身体を記号化しない。
訓練され、文化を帯び、疲労する身体が
空間に与える影響を具体的に用いる。
中心を設定しない。
無秩序も採用しない。
複数の焦点が併存する構造を、意図的につくる。
完成という概念は相対化する。
生成が停止したとき、作品は死ぬ。
私は、言葉を中心に据えない。
同時に、言葉を排除もしない。
意味は排除されない。
だが、先行もしない。
言葉は、
身体や空間と同様に配置され、
作用のなかで意味を生む。
私は、自らの方法を絶対視しない。
メソッドと化した方法は有効であると同時に、
固定化の危険を常に孕んでいる。
方法が再現の型として流通し始めた瞬間、
それは更新を停止させる枠へと反転する。
私はその反転を警戒し、
方法そのものを更新対象として扱う。
ODYSSEY CREATIVE CENTER(OCC)は、
成果を目的とした展示の場ではない。
方法が生成され、検証され、
固定化が成立しえない条件をつくるための環境である。
教育もまた、その条件操作の一形態にすぎない。
私は、芸術によって何かを伝えようとしていない。
私が行っているのは、
知覚が変化する条件を、不可逆に更新し続ける作業である。
同じ条件は、二度と成立しない。
私は「ない」地点に立ち、
更新を続ける。